サイキックプロテクションは受けた人に必要な学びだけを引きつけ、受け入れるため、その人にとって学びのない不要な出来事は起こらなくなります。
そう考えると、前回の記事の「電車が止まった」という出来事は、これまでどれだけ他者の感情を吸収していたのか
いかに自他の区別が出来ていなかったのかを私に気づかせるために起こったと見ることが出来ます。
事実は発煙(沿線火災?)があったというたまにあるトラブルが起こっただけです。
ある人にとってはただの迷惑な出来事、ある人にとってはもしかしたらちょっとしたラッキーだったかもしれません。
余裕もって家を出るようにしようと教訓を得られたかもしれないし、神様が助けてくれたと思ったかもしれないし、自分の身に降りかかった理由や因果なんて一切考えないかもしれません。
出来事、事実をどう捉えるかはその人次第で、そこに学びや意味を見出すかどうかも人によります。
こじつけのように見えるかもしれないけど、私にとってはバンダリに関連してそういう意味を見出せる出来事だったということ。
けれども世界は自分(の意識)がつくったものですべてが必然であるという前提に立てば、こじつけでもなんでもなく、その学びに気づくために自分で引き寄せたと考えることが出来ます。
だって、私がもし1本前の電車に乗っていたら運転見合わせが起こった時には既に別の路線に乗り換えていて影響は受けなかったわけですから。
必要なことしか引き寄せない、必要なことだけが起こるとわかっていたら、どれだけ理不尽なことが起ころうともそこになにか学びがあると気づくことが出来ます。
気づくことが出来るから、なにか不快な出来事や問題が起こった時に無闇に混乱したり、振り回されたり、わけもわからず逃げ続けて同じ問題を繰り返したり、そういった人生における無駄がなくなっていきますね。
生きやすい人生を創るのは自分次第。
その基礎固めをしませんか?
自分にとって「生きやすい」「幸せ」「これが喜び」と感じるのはどんな状態なのかを知り、そのために必要な学びだけを起こしていくのがサイキックプロテクションです。