奇跡の予感

今まで「絶対にない」「ありえない」と強く否定していたのに、「ありじゃない?」「それしかなくない?」としか思えなくなってきたことがあります。

自分の中では大袈裟に言うと犯罪レベル、絶対に許されないことだと思っていたけれど、本当はずっとずっと望んでいたことなのだと認めざるを得なくなってきました。

ありえなかったことがありえるようになるって、ある種の奇跡だなと思っています。

とはいえそれを受け入れたり、実際に行動に移したりするのはこれまで自分が頑なに守ってきた価値観や理想の在り方、プライドの否定でもあって、「やっぱりどうなのかねえ」と疑わしく思ったりもするのだけど…

でも、どうしても自分の中の常識とか価値観といったようなものが“世界のすべて”のようになるけれど、“世界”なんてものは本当はそんな一個人のちっぽけな枠に収まるものなはずはなくて。

そこを超えてみた時にまったく新しい、まったく違う境地が拓ける、それもひとつの奇跡なんだろうとぼんやり気づいたりもしています。

昨年末から何か大きな変化に向かっていることに気づきながらもその流れに乗り切れていない感じがあります。
かと言って止まっているわけでもなくて、いつまで準備してるんだろう?何を待ってるんだろう?という感じで…

人間的には焦るし不安だけど、どこかで今はこれでいい、大丈夫とも感じていてずっとちょっと変な感じ。

最近になって、ある種の開き直りのような形で「もっと本音、欲をもろに出していいんじゃないか、だって欲しいものは欲しいんだもん、なりふり構ってられないじゃん。叶えば満足ってことも本当は気づいてるんだから」と自分を肯定出来るようになったことに気づきました。

求めることと受け取ること、ずっと苦手で、ここぞという時に表現出来ないでいたけれど、なんだかこれからちょっとずつ出来るようになっていける気がしています。

そうだとしたらこれまで散々取りこぼしてきたことをきっとこれからは掴み取っていけるから、それも私にとってはたくさんの小さな奇跡になるんだろうとなんだか楽しみなこの頃です。

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